助産師あおいです
この題名について
知っている人も多いのではないでしょうか?
アドラーの中の課題の分離なのですが、
私の大好きな先輩がこの言葉を言っていて
私はこの言葉にだいぶ救われました。
例えば・・・
私は未婚ですが、母にどうしても孫を見せてあげたいから
結婚しようかなと思っていた時期がありました。
しかし、そこを目標にしていたため、
自分に合わない人とも無理にいていた時があり
なんだか自分の人生がなんのた目に、何をやっているのかわからなくなりました。
この言葉に逢ってから、
母親のための人生を歩んでいるわけなじゃいってことに、たどり着けました。
母親の幸せを私が作るものじゃない。
彼女の幸せは彼女の中にあって、私がどうこうぢて幸せになるように動くのは間違っている。
だって、私の人生だし、
誰かのための人生を生きてしまったとして、
その人がそれを本当に望んでいるのか??
そしてそれが達成したら本当に幸せになってくれるのか?
そもそも、自分を幸せにできるのは自分だけです。
例えば子供を母に見せられたとして、
結局は私は、「親が喜んでくれることに対する自分の幸せのため」にそれをすることになります。
ちょっと考え方難しいですかね??
要は、自分以外を全て人とした時に、
人の人生を歩むのは間違っている、ということ。
よくママたちの相談を伺っていると、
自分の母親の話が出てきます。
✅母親に申し訳ない
✅母親との接し方がわからない
✅母の顔色を見ている気がするんです
などなどですが、どうしても母親の幸せを自分の人生の課題にしている人が多い気がします。
もちろん親は大事です。
親孝行したい気持ちって、本当にわかりますし、
私もこれからも、親孝行はしていきたいと思います。
しかし、自分の人生の何かを決定したり
生活していく中で、母親自身の課題を自分のモノとして一緒にしてしまうと
自分の人生なのに、人生の脇役みたいな生き方になってしまいます。
難しい考え方と思うので、噛み砕けなかったらご連絡くださいね♬